「家出と幻想入り」ノベル化                                   元作:白葱様                                   執筆:尾非夜    第一章 「家出、発見、勘違い」  少女は飛べなかった。  某時、少女は目覚めた。この部屋には窓がないので昼間かどうかすらわからない。時計 はない。外出しない少女にとって、日が昇っているか否かは問題ではない。しかし今日は 違った。  少女は誰も居ないことを確認しつつ、廊下を渡り、この館の玄関を目指す。これからす ることから考えれば、なにも律儀に玄関から出る必要性は無いのだが、極最近まで常識を 知らなかった少女にとって、その常識に反することは許しがたいことだった。わからなか ったことがわかると、知らなかったことを知ると、人間誰しもそれを試してみたくなるも のだ。おそらく、そういう心境なのだろう。もっとも、この少女は人間ではなかった。  10代も経ていなさそうな幼い容貌だが、内には500年近い空虚な歴史が詰まってい る。背中に羽がある。八面体の虹色の立体をぶら下げた禍々しい雰囲気を持つ羽である。 航空力学的に言わせると、どう考えてもこれで空は飛べない。なぜなら枝の様に細長い羽 に、前言の八面体の物体をぶら下げた、飾りのような羽に見えるからである。故に羽とし て機能しているか危うく思われる。そして腕と足が二本ずつ、頭は一個。そこには金髪の 髪があり、脇で一つにまとめられていた。目も耳も二つ。鼻と口が一つ。羽以外の見かけ は基本的に人間と変わらない。  玄関に辿り着くと、外で日光が燦々としている様子が伺える。苦い顔をし、面倒くさそ うに傘立てから日傘を取り出す。そして音を立てないように注意しながら、その重厚な扉 を押し開けた。  少女の目にまず映ったのは、キラキラ太陽に照らされて輝く湖だった。空は少しばかり 曇ってはいるが、それでも日光を受け、風によってもたらされた波が全反射を起こして輝 いている。  少女は太陽より月の方が好きなのだが、ほとんど初めて見る湖の輝きは嫌いにはならな かった。日光を直接受けるでもない。ただ暗闇に潜むでもない。少しだけ暗く、少しだけ 明るい。その絶妙な明るさは月を思わせる。少女は種族故か月は好きなので、嫌いになる わけが無かった。  少女が館を出てすぐの周りの風景を見渡してみると遠くから順に山があり、森があり、 湖があり、そして空には大きな雲が見えた。出た方向から左右を見ると、庭園が見える。 ここを管理している者は門番もつとめており、時折水などを撒いている。今日はもう太陽 も高いので、次に水をやるのは夕方だろうか。  ──門番。  少女は門番を忘れていた。玄関まで難なく来れたが、果たして門外に出る際に通れるだ ろうか。相手は人間でも簡単に通してしまうような奴ではあるが、ここで変に騒ぎを起こ すわけには行かない。出来るだけ隠密に事を済ませて、出来るだけ遠くに行かなければな らない。つまり家出である。  恐々と門の中から門の外を覗くと、案の定、門番が至極普通に居た。しかし寝ている。 立ちながら城壁に体をあずけ、寝息をたてている。もちろん直立不動である。門番は赤い 髪をした長身の女性だった。チャイナ服を着て、腕を組んでいる。よく床に就かなくても 寝れるなむしろ立ったままってどうやって寝るんだろう凄いなあ、と感心してしまったが、 思いなおして門外に足を踏み出した。  少女はまず最初に真正面に見えた湖を左に曲がり、森を目指した。湖からの反射光は心 地よく、このまま湖の周りを散歩したい気持ちは山々だが、直射日光はだめなのと、家出 して実家の前で捕まるほど馬鹿な行為は無いので、止した。それに日傘を差すのが鬱陶し かった。まず森に入り、見つかる心配を無くし、それから事を考えようと思った。急がな いと門番が目を覚まして騒ぎを起こすかもしれない。さっきは寝ていても、次の瞬間まで 寝ているとは限らない。つまり見つかるかもしれない。小走りして、そして呟いた。 「ごめんなさい、お姉様。でも……私は外の世界が知りたい」と。  しかし少女は走っていて怖くなった、これから自分は何をしようとしているのか、これ から何があるのか、まったくわからない、息が切れてきて、今やっているこれに館の皆を 困らせてまで果たす必要のある有意義な意味はあるのか。などと心によぎる。  きっと、意味があって欲しい、せめて、意味を持たせたい、いや、意味があるんだ、そ う自らを鼓舞しなければ走ることを止めてしまいそうだった、走るってこんなにも辛いこ とだったのか。改めて思う。  あるいは家から去る所だから辛いのか、館にまだ未練があるのか、あれだけ考え抜いて、 絶対うまくいくと思って、自分を徹底的に正当化しても、決行した結果がこれだ、なんで も破壊できるだなんて嘘だ、自分のこんな気持ちをも壊せないのに、なんでもだなんてお かしい。そう思って、だんだん追い詰められていく。  うまく走れない、そんな大した距離はないのに、息があがってきた、あるいは飛んだ方 がよかったか、いやでもここで見つかってしまっては意味が無い、決行したからには絶対 に成功させなければならない、これは真理だ、そうだ真理なんだ、どんなことだろうとや り遂げることに意味があると、教えてくれたのはあいつではないか、あいつの言うことに 従うのは時々癪だが、あいつが言った事に背いて無いのに戻される筋合いは無い、確かに 外に出るなとは言っていたが、これは私が決めたのだ、私が決めたからこそ、やり遂げる 必要があるのだ。と、少女は自らを押し止める。  少女が湖の脇を抜け、森への一本道へ差し掛かったところには、小さなでっぱりがあっ た。走りなれていない少女は、迂闊にもそれに足を取られた。 「あっ」と思うのも遅く、見事なまでにバランスを崩し、盛大に転んだ。手に持っていた 日傘が飛ぶ。少女は気づいた。周りにすぐに駆け込めそうな日陰はない。それに気づいて 涙が頬を伝ってきた。ああもうここでおしまいなんだ、あれだけ考え抜いたこの計画も、 一瞬の内に塵となってしまったんだ、運命ってなんて悪戯なんだろう、意地悪なんだろう。 なんて、あいつみたいに嫌なんだろう。  しかし縋る様に日傘を見る。執念深く見て、しかし届かないことに落胆して、つい小声 が出た。 「──どうしよう。あれがないと、私気化しちゃう──」  日光で気化する少女、姉はかの有名な運命を操る吸血鬼、そしてその妹となれば話はほ とんど決まっている。  ──すなわち彼女は吸血鬼である。  男はいつの間にか湖の畔に居た。  男はどうやってここに来たか、一切の思い当たる節が無い。そしてここは人生の中で初 めて訪れる場所である。しかし不思議なことに、どこなのか一瞬でわかった。そして言う。 「さて、困ったことにどうやら俺は“幻想入り”してしまったらしい」  男はここから戻る方法を考える。まずこの異変の張本人とも言えるスキマを、そういえ ば森の入り口に唯一の男がいたなと半人半妖を、湖の近くの森を目にして宵闇の妖怪を、 そして湖に住む氷の妖精を、──思いつくだけ上げてみたが、やはり、 「──ま、ゆかりんのトコ行けばなんとかなるでしょ」  という安直な考えに逢着した。  とりあえず動かないことには何も始まらない、困ったからといって助けの方から来るな んて事はそうそうない、今一人であるため自分で何とかしなければならない。そう思い、 近くの小高い道に目を遣る。すると偶然にも日が昇っているのに傘を差した人型が目に入 った。走っている。あれは日傘だろうか。なぜ走っているのだろうか。  男は知識としてここがどこなのかはわかるが、残念ながらあれは誰なのか、なぜ日傘を 指しているのか、走っている理由は何なのか、はわからなかった。  遠目に見てるので少々解りづらいが、どうやら羽を持っている。つまり人間ではない。 リボンの付いた可愛らしい帽子を被っている。女の子だろうか。服は大きめのワンピース、 瞳に色はわからないが、髪は湖からの反射光を受け金色に輝いている。男は、金髪といえ ば思いつく少女が居ないわけでもなかったが、彼女が日傘と無縁なのは承知だった。彼女 はむしろ影より闇を好む。  他に頼る当ても無いし、人間ではないので少々怖かったが、とりあえず話しでもして場 所の確定と、今後の行動をどうにかしようと思い近づこうとしたその瞬間に、少女は小さ なでっぱりに足を取られた。 「あっ」と思うも遅く、バランスを崩し、倒れた。  少女からは落胆の念が滲みでていた。なにせ今にも泣きそうな勢いの顔を遠めでわかる くらいにくしゃくしゃにしているからだ。人間で無いのなら日光か何かに対して何らかの 弱点があるかも知れない、と男は思いついた。今目の前に居る、現状で唯一頼れそうな、 今にも泣かんとしている少女が居るのに助けない道理はあるのだろうか、とも思う。幸い にも日傘は風に身を任せ、こちらの方に飛んできた。これを届ければ彼女は泣き止む。泣 き止めばお礼も兼ねてとりあえず話しくらいは付き合ってくれるだろう。そして自分は助 けられる位置に今居るのだ。助けない道理があるだろうか? いや無い。わざわざ反語表 現で強調する必要も無いくらいに無い。仮にこちらに危害を加える相手ならとにかく、現 状唯一頼れそうな相手なのである。もし自分に危害が及ぶことがあっても、どうやら日光 に何かに色々事情があるらしいので、それを使えばなんとでもなるだろう。つまり日傘が 人質になるのだ。これは“ここ”でしか見れない、滑稽な光景だ。  それもまた男にとっては興味がある。  そして男は日傘を持って行き、日傘を差し出しながら紳士的にこう言った。 「大丈夫かい、お嬢さん」  少女はいつの間にか出来ていた影に気づき目を見開き、何者かがそこに居ることを察し、 恐々と、しかし希望を持って上目遣いにそれを見ていた。  少女と男は、こうして出会った。  少女は名をフランドール(以下フラン)、男は名を白葱と言った。  フランがまず思ったことは、白葱って変な名前、だった。外から来たことに関して興味 が無いわけでは無いが、これが第一印象だった。  一方で白葱はこれといって印象は湧かなかった。ここにはこんな羽が生えたやつもいる んだな、と言う程度のものだった。  二人は森までたどり着いて、木陰で話している。一見天気が良い空も、だんだん暗くな っている。それは上空の雲の塊が風によって押し進められ、日光を隠すことで起こる。端 的に言えば曇ってきている。しかし雨の心配はなさそうだ。これを見て、フランは少しだ け安心した。 「ところで白葱はなんで幻想郷に来ちゃったの?」  とフランは言った。  ああやっぱりここは幻想郷なのか、と確認をとりながら白葱は答える。 「いや、なんといったらいいか。正直覚えて無いんだどうやって入ってきたのか。こう、 気が付いたらここにいたって言う感じで」 「えぇ!! それって記憶喪失!?」 「いやそんな大層なものではないような気もするけど」  白葱はこのわかだまりの在り処を探っている。記憶喪失を言われればしっくり来るよう な気もする。そうでないと言われればそんな気もする。非常にはっきりしなくてもどかし かった。調度、底が欠けたコップで水を汲んで飲むような感覚がする。何かが足りないよ うな。しかし足りなくてもそんなに困らないような──。 「そっか、よかったぁ!!」  とフランは心底安心する。世間付き合いをしたことの無い彼女は、公私についてよくわ からない。「私」は感覚的にわかるだろうが、「公」はわからないだろう。それは人と付 き合う際の鉄則ではあるのだが、そんなことは知らない。しかしそんなに馴れ馴れしい態 度では無いので、白葱は気にしなかった。 「あ、そうだ!!」  フランが元気良く言う。しかしこいつはよく喋るなと白葱は思った。まるで、他人と会 話をしたことが無いような気配も漂うが、そんなわけはない。会話したことが無いのなら そもそも言葉を媒介した意思疎通の方法、すなわち話し方、をわかるわけがないからだ。 言葉を厳選して言うと、話し慣れていない、とも言える。しかしそれにしては饒舌な口調 で、とてもそうは感じさせない。  この気配はどこから来るのだろうか? 「一緒に探そうよ。白葱がココに来ちゃった原因を!」  思いがけない提案に白葱は驚いた。せめて人里の道筋程度でも教えてもらえれば万々歳 だったのに、この上ない最高の提案である。これで新たに原因探求のために人やらを頼む 必要が無い。しかしそれはそれで出会いが無くて寂しい気がする。 「え、いいの……?」 「いいよ。だって白葱は私の命の恩人だから」 「……」  命の恩人だなんて、そんな大層なものになった理由が一瞬思い当たらなかった。しかし 日傘のことを思い返して、やっとわかった。やっぱり、日光はダメらしい。 「じゃ、お言葉に甘えさせていただくよ。俺だけじゃ幻想郷はわかんないしな」  ここでフランは重大なことに気づいた。本来は自分が道を教えられる立場なのだ。いく ら白葱より昔から住んでいるとは言え、ずっと外に出たことの無いフランが、道をわかる わけがないのだ。言ってから気づいた、言わなければよかった、と半ば自嘲気味に思う。 しかし白葱が命の恩人であることには変わりないし、何かお返しがしたいのも事実だ。自 身の命と引き換えのお返しと言うのも難しい。つまりそれは今相手にとって一番必要な者 になることだった。しかしフラン自身がそれになれない。でも言ってしまったからには努 めるしかない。事が大きくなる前に無理だと言いたいのは山々だが、言ってしまった手前、 それを否定するのも何か格好が悪い。  つまりフランはしどろもどろに答えるしかなくなる。 「──う、うん。まかせて」 「ん、どうかしたか?」 「ううん、何でもない。まかせて!!」 「ああ、よろしく」  こうなったらもうどうにでもなれ、とフランは思った。  白葱は、一瞬フランがした暗澹たる表情が何なのかわからなかった。しかしまあ自ら案 内役を買って出るくらいだから大丈夫だろう、とかなり簡単に考えていた。  いつの時代も度胸が座っているのは女であって、男はいざというところでしか危機を感 じ取れない生き物なのだ。母親たる強さと、父親のいい加減さがいい例である。  だから白葱は何の躊躇いも疑問も一切無く、フランにホイホイついていくのだった。  白葱は着いたところを見て驚愕した。大きな皮を纏った太い巨大な棒が現れたからだ。  それは昔からそこにあるような風格を漂わせており、周りの風景ともばっちりマッチし ていた。よくよく見れば周りにも、遠くの山にも、白葱の故郷にも無いことも無い。そし てそれは光合成をし、動物の育成においては非常に重要な役割を果たしている。  つまりそれは植物のうちで最もポピュラーな、木である。  フランは何故木の目の前で止まったのだろう、と白葱は思う。まさか八雲紫の家がこの 上にあるわけではあるまい。彼女の家はどこにあるか誰もわからないし、登場もいつも唐 突で、探せば出ず探さずとも出ず、わけのわからないところで語りを始めてはわけのわか らない理由で巫女を駆り出すようなやつであるはずなのだ。  待て──、  ど こ に あ る か だ れ も わ か ら な い ?  ここでフランは大きく息を吸った。 「ご」  しかし次の簡単なはずの一言が出てこない。 「ご、」  白葱はここでやっと不審な気分になった。このコは何をしたいのか。ここは、ここはど こなのか? このコは、自分をどうしようというのか。相手は妖怪だった。そうで間違い ないのだ。妖怪が人間を襲うのに理由は無い。つまり、妖怪が人間を襲わなくなるのも理 由は無い。また襲うかどうか決めるのは、理由などない。抑制するのもまた、理由は無い。  要するに妖怪は人間を襲うのに、一片の躊躇いもないのだ。さっき白葱がこのコを助け たことは理由にならない。襲うのを抑制するのに、どこを探してもまったく、理由は無い。  なぜなら妖怪が人間を襲うのは本能を超えた、言い変えれば存在意義だからである。動 物が子孫繁栄を願うのと同じくらい、妖怪は人間を襲うのを生の意味としているのだ。  しかしフランは、 「ゴメンッ!!」  と、とても大声で叫んだ。少し声が裏返っている。  何がゴメンなのだろう、と当然白葱は思った。まさかこれから襲うことを謝るとは考え られない。しかしフランの律儀さをこの短時間とは言え感じ取った白葱は、それもありか な、と思った。そう思ったのだが、生を諦めている訳でも無いのだが、何もしなかった。 否、何も出来なかった。相手は妖怪である。いくら抵抗しようとも無理だ。しかもここは 木の影の中である。木の間から覗く空を見れば曇っているので、仮に木が居なくても無理 だっただろう。今は、人質の日傘も意味を成さない。気が付かぬ間に、全ての準備は刻々 と迫っていたのだ。フランはそのあどけない容貌とは裏腹に、実は恐ろしい策士なのだ。 自分はこの巧妙な罠にまんまと引っかかったのだ。ここで無駄な抵抗はやはり意味を成さ ない。なぜなら相手が完璧ともいえる策を実行してしまったからだ。  しかし考えている途中で、なぜゴメンなんだろう、という疑問が浮上してきた。そんな 策士が自分を殺めるのに躊躇いを覚えるのだろうか。冷徹気まわり無いはずの策士が、そ んな最後にヘマを犯していいのだろうか。素性の知れない自分は、早期のその策を見破っ て、能力を隠している可能性だってある。策は最後の最後までしっかり行うべきなのだ。 最後で失敗したらそれで終わりなのだ。それでも、ゴメンと言うのなら、詰めが甘い、も しくは前提が間違っている。ここまで完璧にこなしたのなら、詰めが甘いなんて事は考え にくい。つまりフランは策士ではない。  策士では無いのなら、フランは白葱を食べる理由は無いということだ。もちろんそれを フランが抑制する理由も無いのだが、フランはうつむいている。不意打ちにしたって芸が 無い。  襲われないと確信したため、白葱は何も言わずに違う木の元に彼女をエスコートした。  そして現在に至る。  しばらくの間沈黙の妖精が辺りを飛び回っているかのようだった。空は完全に雲がかか ってしまっていた。風は小さく吹いていて、草が層を成してそよがれていた。さー、とい う擬音が非常に似合う光景だった。  フランは相変わらずうつむいている。まるで全てを言い終えたかのようだ。しかしゴメ ンで全てが伝わるわけではない。それはフラン自信もよくわかっていたし、何か言わなけ ればならないとも思う。  白葱はそんなフランの脇で何も言わずに立っていた。妖怪、つまり見た目で年が容易に 知れない種族とはいえ、やはり見たまんまの子供も居るんだなと思っていた。子供ってい うのは格好良さを気にするものだし、こうして熱された頭を冷やせばその内何か言ってく れるだろうと、安直に思っていた。  しばらくして、白葱が今晩の夕飯と寝床どうしようかなと考え始めるくらいの時間が経 って、フランはおもむろに呟いた。 「ごめんね。実は私幻想郷の事あんまり知らないんだ」  しかし白葱は当初の子供扱いも忘れて普通に受け答えてしまった。 「あれ、でも結構前から幻想郷に住んでいたんでしょ?」  それは白葱の思い違いで、そんな会話は一切なされていなくて、勝手な妄想なのだが、 それでもフランはそれに続けて答える。 「うん……だけど。ゴメン……」  そしてまたうつむいてしまった。  白葱は仕方ないな、と思った。  こういう時に人は、自分は物凄く嫌な奴でこの世に居なくたっていいんだ、のような非 常に暗い考えをしている。白葱自信も人としてそういう体験をして来なかったわけではな いのでよくわかる。白葱の親がしてくれたように、白葱もまた、フランに優しい言葉をか けるのだった。 「そんなわけ──ん?」  ないだろう。そう続くはずだった。音がした。草が震える音が。背後からしっかりと。  白葱は興味がそんなに無かったが、振り向いた。どうせ動物か何かが居るんだろう。さ っさと追っ払って会話の続きを、なんて悠長なことを考えていた。  しかしそこには当初白葱がここに来たときに思い描いた一場面があった。  金髪で赤いリボンをカチューシャのようにつけている少女が一人、草から顔を覗かせて いる。一見するとかくれんぼをして見つかったときにする可愛げのあるポーズにも見える が、彼女の目は明らかに血走っている。  白葱は彼女に見覚えがあった。しかしまだ思い出せない。  闇だ。彼女は闇そのものだ。真っ黒なワンピースがそれを表している。  しかし白葱はまだ思い出せない。  梟のように首をかしげて彼女は言う。 「あなたは、食べていい、人間?」  台詞で思い出した。ここは幻想郷だ、そして彼女は森に居る宵闇の妖怪だ、なんてこと だ、完全に失念していた、ここが幻想郷であることは百も二百も承知だったはずなのに、 何で忘れていた、妖怪が居るんだぞ!? 妖怪が居るここでなんて悠長なことを考えてたん だ俺は、馬鹿だ、完全に馬鹿だ、連れだってこんな娘一人だ、どうしようもない、もう逃 げるしか──  何かが白葱の頬をかすめた。  背筋が凍りついて、やべえマジで弾幕だ、としか思えない。頬からは血が垂れている。  血が出ているが不思議と痛みは感じない。これが緊張状態の成せる業である。  フランは追い詰められていた。しかし、  敵? と気づいた。  白葱が攻撃された、と思った。  助けなきゃ、すると、どうやって? と疑問が湧いた。  敵を倒さなきゃ、と思いついた。  倒ス? 気づいた、  遊ンデクレルノ? 倒す事は遊ぶ事と同義だと。  遊ビタイ、欲望が湧き出る。  私ト遊ンデ、目つきが変わる。  遊ブ遊ブ遊ブ遊ブ、思考が単純になる。  壊れないようにシナイト、唯一の理を思い出す。  壊壊壊壊壊壊壊壊、何も考えない。  ワタシトアソンデアソンデアソンデ、彼女はもう、  ──ネェ、遊ビマショウ? 自らの欲望のままにしか動かない。  妖怪は首が凍った。野性的な圧倒的な力量の差を本能で感じ取ったのだ。同時に少女が 人間で無いことも感じた。手遅れだ、ゾッとした、ここで消されるのだ。そう思った。  しかし白葱は突然フランの手を握っていきなり走り始めた。 「え?」 「え? じゃ無くて、ルーミアだよルーミア!! 逃げねえと食われるぞ!」  ヤケクソ気味に葱は言う。しかしフランは手を引かれながらうつむいた。 「でも私が一緒だと……」 「バカ!! 何言ってんだ。何でこんな可愛いコが食われるところ指をくわえて見なきゃい けないんだ。それにな──」  フランを元気づける意味でも、白葱は続ける。 「──道を探すなら一人より二人の方が早い。それに、楽しいだろ? こうやって二人で 居る方がさ」  フランはハッとした。難しいことを考えすぎていたと。私が出来ることをすれば良いん だ。そう気づいた。 「うん!!」  二人は曇り道を手を繋いで走る。  一方のルーミアはあまりの恐怖で地面にひれ伏していた。そしてその恐怖の原因が走っ て行ってくれたので、もう腰が抜けたのだ。服を草だらけにして、しばらくそうしていた。  きっかけ、なんてものは非常に呆気ないのだ。かの第一次世界大戦だって皆冬には終わ るだろうと夏に意気揚々と出かけて行ったのだ。しかしそれはその後数年にも及ぶ世界的 な大戦となったのだ。  きっかけ、なんてものは実に呆気ないのだ。これだって、その後の激戦の序章にしか、 過ぎないのだ。それを一体誰が予想しただろう、出来ただろう。  それはとある吸血鬼にしか成せない業だった。